100日ぶりに向えたバリの朝

100日間のスンバワ滞在を終え久しぶりにバリの自宅で朝を迎えた。スンバワ生活でのルーティンがまだ体に染みついており夜が明ける頃には完全に目が覚めてしまっていたので、朝早くから一昨日外したばかりのフィンを再度設置したり旅行道具の片づけを済ませたりし、明るくなったころにはいつも通りにコーヒーを入れるお湯を沸かしその最中に波を見に行った。

久しぶりに見るビンギンの波はスンバワに比べて力が弱いように見えた。今日は特別良い波があるわけでもないが胸ぐらいで十分サーフィン可能だ、朝から10人程のサーファーが数少ないセットの波を待っている。時間は朝の7時過ぎこれから大潮のハイタイドに向かい勢いよく潮が上げてくるので8時には潮が上げすぎ良い波は終わってしまうだろう。

普段の波チェックは3分も見ていないのだが、久しぶりに見るビンギンの波を昨日までは普通だったスンバワの朝の景色を回想しながら10分ほど眺めていた。

過去の経験から分かっていることだが、スンバワと比べると「海と空の青色、雲の白色、木々の緑色」すべての色が薄くぼやけて見えた。時間が8時を回って太陽が少し高い位置になってもそのぼやけた色は変わらず、そして太陽の日差しもスンバワに比べて大分弱い。日本の10月初旬、完全に夏が終わりまだ太陽は高い位置にあるのだがそれほど暑く感じない初秋の晴天の日のような感じがする。

昔好きだったころのバリは自然の色が濃厚で強烈な日差しのスンバワのようだったのだけれど、もうそんなバリには絶対に戻らないなと思いながら少し寂しい気持ちでの100日ぶりの波チェックだった。

何故バリの自然色が薄くなってしまったかというと空に薄いスモッグがかかっているからだ。それは人口の増加と経済発展で車やバイク、工場やエアコンなどからの排気などが増えた結果だ。

そして自然色は人々の心に重大な影響を及ぼす。

スンバワやヒマラヤまたは高い山の頂上など自然色が濃い場所で暮らしていると、とにかく悩み事や小さなことを何時までも考えなくなる。心配事は減りハイテンションキープで暮らせる。それはお金がある人でもない人でも。しかし自然色が薄くなるにつれて人々は心配事が増し、嫉妬や争いも増えつまらない人生を送る人の確率が増えてくる。

バリ島は色が薄くなってしまった現在でも先進国やインドネシア都市部と比べると、まだ幸せな心を保ちやすい場所かもしれないが、バリ島より自然色レベルが高いスンバワでの生活を経験してしまった私はこれから先はどのような心境で暮らしていくのか少し不安を感じる。

これから日が経つにつれて心はバリの色に染まっていくわけだが、バリ島より濃い色のスンバワのことが心から離れず何か悩み事があった時などに「ふっと」スンバワのことを思い出してしまうのだろうと思う。

日本に暮らす人や先進国や都市に暮らす人には「贅沢な悩みだな~」と思われる方々がいると思うが、スンバワからバリに戻ると誰でもこのような心境になってしまうのだ。

100日間の留守中にはスタッフの方々が客室、私の自宅ともに綺麗に管理してくれていたので凄く嬉しかった。人の助けがあったからこそできた旅だ。しかしバリに戻り感じたことは出発前より人々の雰囲気が暗く、商売復活の兆しが全く見えない。もちろん私の仕事も。

だからまたスンバワかどこか自然色が濃い場所に旅立ってしまうかもしれない。

今日の私には上記の画像が薄い色で寂しく見えてしまうのですが皆さんにはどのように見えますか?