街から来るサーファーたち。

今日は乾季のど真ん中のこの時期には珍しく朝から雨が降っている。乾季が始まりすでに5ヶ月近く、雨が降ったのは10回にも満たない、その中で一日中雨だった日は記憶無い、それほどバリの乾季は雨が振らない。

植物にとっては水が得られず厳しい季節で、放牧されている家畜たちも草が枯れ食べ物をさがすのに困難する。しかしこの雨が振らない季節にインドネシアのサーフポイントに最高な波が到来する。サーフィンをしている人間にとってはこの季節を毎年待ちわびている。

7~9月がその雨が振らない乾季シーズンのど真ん中で季節風が強く吹く日が多くなり、バリの西海岸全てのポイントはオフショアーとなる。

しかし風向きはオフショアーでもアウトリーフやビーチブレイクなど風が吹きさらしになるポイントは強すぎる風でバッドコンディションとなることが多い。

そんな強すぎるオフショアーの時に良い波が立っているのは、ポイント後方が崖になっていて、強いオフショアーから守られる、ビンギンインポッシブルなど私のホームポイントだ。

今はコロナでトラベラーは入国できず、バリ島にいる全体のサーファーの数は極めて少ないのだが、クタやチャングー街の方のローカルサーファー、定住している外国人サーファー達が、今時期のバリで一番波が良いビンギン周辺に、こぞって押しかけてくる。

昨日の夕方も何時ものように20人近い人数のバリ島に住んでいるサーファー達が入っていた。

今に始まったことでは無く、私が旅行でバリに訪れていた90年代からのことなのだが、ビンギン、ウルワツ、バランガンなど私のホームポイントのローカルは場の雰囲気を読んで、ローカルだけでどの波でも全部乗るような事はせず、セットを乗るサーファーはセット以外には手を出ささなかったり、自分が乗り終えると順番を待ち波に乗れていない人に波を譲ったりし、和んだ雰囲気でサーフィンを楽しめるのだが、クタ方面やサヌール方面、街のサーファー達は他所のポイントに来ても自分たちだけでポイントを占領してしまい、ハイエナの様に波を漁リ、海は激しい戦場の様な雰囲気になってしまう。

昨日の夕方、私がビンギンでサーフィンしようと崖の階段を降りていたら、私と同世代のアーチがボードを抱えて崖を登ってきたので、「ビンギンどう?」と尋ねると、怪訝そうな顔つきで「またクタの方から沢山来てる。」と返事が帰ってきた。アーチは仕事はリペアマン、ビンギンのポイントの目の前にワークショップをかまえているので、ビンギンでサーフィンするには3分もあればラインナップに並べる。しかしわざわざ少し離れた波の質も劣るドリームランドまで行くと崖を上がって行ってしまった。

そのアーチの様相を見たら、街から来たサーファー達がポイントを占領しているので、他のポイントに行くんだと言うことが読み取れた。

私はビンギンで生まれた人間では無く、所詮外国人の移住者なので、彼ら生粋のビンギンローカルがどういう心境なのか?は分からないけれど、街の方のサーファーをあまりよく思っていないようだ。

私もそんな中、ビンギンでサーフィンをしているが、25年近くローカルポイントとしてサーフィンしていた場所を乗っ取られた気分だ。

この先、コロナが終わり人が自由に行き来が出来るようになるとこの状況は悪化の一方で、5年後10年後には、ローカルが誰だかなど関係ない状態になり、バリのサーフィン文化は在住西洋人や西洋人のハーフのサーファー達中心となり生粋のバリニーズは隅の方に追いやられるだろう。

これからバリで起き得るサーフシーンを想像すると、ハワイで起こってきたサーフシーンってこういう事だったのか。と言うことが分かった。

もういまさらだけれど、バリ島で真っ黒に日焼けした顔に真っ白な歯を出して、ニコニコ笑っているバリニーズサーファー達の中で楽しくサーフィンできる日は絶対に帰ってこないだろうと思う。

と言うことで今日も波は上がり週末、午後の引き際、良い潮周りには街のサーファー達が大勢訪れるので、その前にサーフィン行ってきます。