今日2月9日は特別で複雑な気持ちになる日。

今年も2月9日が来た。16年前の今日、今はオランダに住んでいる娘のアオリカが生まれた。生まれてから2年間しか一緒に住んでいないけれど、毎年2月9日が来ると娘を思い出す。

10年も年月が経つと、それが本当に10年前だったのか?もしかしたら9年前か?11年ぐらい前だったのか?曖昧な記憶になってくる。40歳を迎えてから2年後の夏、人生で一度だけの同窓会に参加したのはしっかりと記憶に残っている。それは同窓会が行わる前の冬、2月9日に親父が死んだからだ。

3回目のヒマラヤは1回目、2回目と違い、私一人での山旅だった。3月にネパールで大きな地震が起きた年の初冬に1ヶ月あるき続けたエベレスト街道から首都のカトマンズに戻り、山行の疲れを久しぶりの熱いお湯が出るシャワーで身体を洗い流して街に繰り出そうと準備をしていた所に妹から電話がかかって来た。

妹とは全く連絡を取らないと言っていい程の疎遠、だからその電話は嫌な知らせだろうと予感がした。電話の内容はやはり的中で母親が癌にかかり余命6ヶ月だと知らされた。その日の夜は癌になってしまった母親の事、自分が幼少だった頃の母親の顔や私に優しく話しかけてくれた声を思い出し一人薄暗いカトマンズの街を彷徨うようにあるき続けた。

そして年が開けてしばらくすると「母親の寿命が縮まったので来てほしい」と再度妹から電話があった。1月中旬に日本に到着し、久しぶりの母親を見ると人工呼吸器はついているが、本当に1ヶ月でこの世を去る人には見えないほど元気な姿だった。しかし体調は日に日に悪化し最後の2.3日は病院のベッドの上で死ぬのを待っている状態が続いた。夜になり2月9日もそろそろ終わろうと言う時間帯にベッドの横に設置されている計器の数値が乱れ始たと思ったら、それから数時間後には息を引き取っていた。正確な時刻は覚えていないが午前0時の数分前だったのは鮮明におぼえている。

娘が生れて、父親が去り、そして母親がいなくなった。同年代や先輩方も同じ思いを経験されている方大勢いると思うが、両親が居なくなると(特に母親が)次は自分がこの世を去る番が急に近付いたように感じてくる。

それまでは心のどこかに親の存在があり、自分を支えてくれていた事に気が付く。大抵の人がそうだと思うが、親が元気に生きているうちはそんな事全く気が付かず。だから親孝行をしておけと言う話をよく聞くのだろう。

親がいなくなってから大分時間は経つが、2年前のコロナ以前の事を思い出してもあの頃よりは自分の人生が短くなったように感じる。その頃から「人生長くないし、このままバリ島で自分の人生を終わりにはしたくない、60歳なのか70歳なのかわからないけれど、いつかはバリ島を脱出し次の土地が人生の最後の土地になるのだろうか?」頭の中に薄っすらとそんな絵を描いていた。

そんな事を思っていたからか、予測より大幅に早くバリ島を去るときが来た。今バリ島を去ってから6ヶ月に満たないが、ここスンバワを人生最後の土地など到底思わない。確実に日に日に自分の人生は短くなっているけれど、私にはリタイヤ、隠居、最後の土地など探すのは向いていないようだ。スンバワハッピーハウスも人生の通過地点、まだまだ欲深くアクティブに死ぬギリギリまで自分の人生を決めつけずに、次の目標に向い前進するのみだな。と思う。

次の目標はスンバワからネパールに通い、子供達が大きくなった頃には山のシーズンはネパールに住み、海のシーズンはスンバワで過ごす。そして世界旅行もできれば。それで死んだら大満足な人生だ。

さてオランダは確かインドネシアと9時間の時差、まだ早朝だけれど、娘アオリカにハッピーバースデーのメールをしてみよう。

誕生日と命日が重なる今日2月9日、私にとっては特別な日で複雑な気持ちになる日でもある。