10月1日スタート

大々的なスタートではありませんが、本日10月1日より、スンバワドリームハウスの着工が始まりました。

将来確実にサーフィン界インドネシアトップ3に入るだろうと言われている息子の父親、本人も元プロサーファーで現在は地元レイキーで大工の棟梁として活躍するジョイのオーガナイズでスタートを切ることができました。

この計画を思いついてから約5ヶ月間が経ちますが、自分の中ではこんなすぐに賛同してくれる方々が集まるとは思っていませんでした。

当初のイメージでは、コロナが終わってこの計画に興味がある人、一人ひとりにお会いして話を聞いてもらい、それで納得行った人が参加することになるだろうと思っていました。まあコロナもまだ終わらないし、「ぶっちゃけ2年後ぐらいかな?」しかし予測に反して計画発表をしてからほんの1ヶ月もしないうちに賛同してくれる方々集まってしまいました。

計画を考えた私本人は気持ちの整理ができておらず、実は今日の現段階にたどり着くまでに数多く乗り越える壁があったんです。その壁を乗り越えられたのも、賛同された方が、「遊さん。こういうのは早い事やったほうが良いんだよ。今はコロナ期間中にやるべきだ。」と教えてくれたり、ビデオコールで励ましの電話をくれたり。皆が私の背中を押してくれたおかげです。

途中、本当にこのままGO FOR ITして大丈夫なのだろうか?と不安心に襲われることもありましたが、本日こうやってスタート地点に立ち、「やはり途中で諦めたりしないで良かった。」という気持ちです。

バリとは色々と勝手が違うスンバワで、この先いばらの道も通らなければいけない時が来ることも覚悟で、このまま完成に向けて計画を進めていきます。

計画を発表してから5ヶ月間でスタートがきれるなんて、本当ならもの凄く早いスピードで物事が動いたわけですが、自分にとっては一大決心であったので、この5ヶ月間は非常に内容が濃い長い時間に感じました。

今日の午前中に40Km離れた街に電線の注文を済ませ、今は部屋のベッドで寝そべりながらブログを書いているのですが、私の人生の分岐点とも言える出来事。「私の事を男にしてくれた人たち」の事(出来事)を思い出したので簡単に説明したいと思います。

一度目は私が20歳のときに務めていた日本食店で未熟な技術の私を寿司職人への道へ導いてくれた料理長とその後に出会った先輩の職人たち。寿司職人となれたおかげでオーストラリアに永住する事ができました。

2度目は27歳のときに数年後にはバリ島に移住してお店をやめるけど、という条件を飲んでくれ、当時住んでいたオーストラリアで回転寿司のオープニングの仕事を与えてくれた、ブライアン。この仕事ではじめて店の長となり人の上で働く経験を身に着けてさせてくれました。

3|度目はビンギンのドリームビュービラの建築を私に任せてくれたリチャードとその友達たち、secret gardenのゲストだったリチャードが私がsecret gardenを村人達と立てた話をすると、土地探しから設計まで私任せでビラ建設の仕事をやらせてくれた事。2度目の建築の仕事で自分の技術を向上させてくれたこと。完成後も私を管理者としビンギンの村人などにも仕事をくれた事。

4度目も建築に関わる仕事で知人宅の大改装工事やお金の管理を任されたこと。大工事や移住に対するお手伝いで私の口座に億単位のお金が振り込まれると、普段あっていた銀行員の態度や、その他大きな買い物をする場面で人々が私に対してVIP扱いをするようになり、人ってお金がある人間にはこんなふうに媚を売ったり、作り笑顔をしたりするんだな。と言うことを学ばせていただきました。

 

私の人生は、この様に巡り合う人に物凄く恵まれていて、自分の力ではなし得ないことを色々と経験させていただけました。

そして今度が5回目。自分でもがいてもあがいても、どうにもできない事を7人のメンバーの力を頂きやらせて貰える事になりました。

この様に久しぶりの晴れ舞台にたち次の目標に進んでいく今。自分では気がついて無いふりをしていたのかもしれませんが、コロナで無職が続き相当な精神的ストレスを抱え込んでいたんだな。という事も分かりました。

この先家の完成、その後の事などなど、長い道のりですが目標に向かって前進していきます。

バリ島を出てから2週間経ちますが、肋骨の怪我の痛み風邪でまだ一度もサーフィンしていません。また今後波の画像もアップしていくのでお時間ある時にご覧下さい。