いつの間にか時はながれて、不安心は消えてゆく。

今日でスンバワに来てから早くも8日目、バリを出発してからだともう11日間も経ってしまった。

バリでは部屋の中にインドネシアと日本の2つのカレンダーがかけてあり、どこからでも目につく位置に大きめの時計もかけてある。それらを意識的に設置している訳では無いのだが、部屋で過ごしている時間には一日に何度も目に入るので、今日の日付に日にちも覚えているし、時計を見る回数が多いので大体今何時ぐらいなのか、わかりながら生活している。

バリからスンバワまでの移動中は車を運転する時間が多いため、車についている時計が嫌でも目に入り脳みそには、間違えの無い日付とおおよその時刻がインプットされていたのだが、スンバワに到着してからは車も乗らなくなってしまったので、唯一日時を確認できるものは携帯電話のみ。

バリにいるときは、生活のリズムが早く都会チックな時間が流れている為、用もないのに携帯電話をいじる時間が多くある。ここスンバワでの時の流れは、昨日も今日も明日も変わらず、1年前も5年前でも今日とあまり変わらない時間が流れている。そんな場所にいるとバリでは何気なくいじっていた携帯電話は机の上に置きっぱなしとなり、日時を確認する機会がめっきり減ってたので日にちも曜日も、そして今が何時なのかわからなくなってしまう。

日にちも曜日も時間も分からなくなってしまう様事って本当は幸せな時間なのだが、今回のスンバワ生活は以前の様にサーフィンだけでは無い。皆の使命を背負っての渡航なので「もう遊びでは無いの」と自分自身に言い聞かせているのだけれど、中々バリにいた時のように日にち通りに時間通りにと「しゃきっと」行動が取れない。

コロナ後の1年と6ヶ月の間、無職になりバリ島で生産性のない時間を過ごしていると不安な気持ちになったり苛立つ時もあるのだが、ここスンバワではいつの間にか時間が過ぎて行き、何も生産されなくても不安を感じない。そしてなぜか?この不安感を感じないのは仕事や物事を進めて行くことだけでは無いようだ。

前回のブログに書いたけれど現在肋骨を痛めてサーフィン休止中、気がついてみるともう2週間もサーフィンをしていない、バリにいる時ならそんなに長い間サーフィンをしていないと、良い波がブレークしているのを見て、他の人がサーフィンしている姿を見て、今怪我でサーフィン出来ない自分自身に苛立ちを感じたり嫉妬心が生まれたりするはず。でも何故かここスンバワでは全くそんな気持ちにならない。

バリ島で起き得る思考とは全く逆で、どうせなら後2週間ぐらいサーフィンしないで、サーフィンの時間にとらわれず、のんびりしようかなと思ってしまう。

何でそうなるのか分からないけれど、とにかくスンバワにはバリと違う不思議な時間が流れていることは確実だ。でもそんな時間の中にハマってしまうと計画は進まなくなるし、無職でお金が無くなる一方、少しは危険信号を感じれるようにカレンダーと大きめの時計を近くの街まで買いに行こうと思う。