ジェイソンとの出会い。

先日のブログのつづきです。

ここレイキーでジェイソンと言う名前のオーストラリア人に会った。はじめの2~3日は顔を会わすと挨拶をする程度で一昨日のペリスコープのThe Dayには海を見ていただけでラインナップには現れなかった。

しかし先日のペリスコープで彼がサーフィンしている姿を見ていたら25年近く前に会ったジェイソンの姿が蘇ってきた。

でも彼が25年前会ったジェイソンなのか確かでは無い。今度顔を合わせても普通に挨拶だけ交わし深入りせずに表面上の付き合いで終わらせることもできる。

身体は2周り大きくなり、ハゲあがった頭に真っ白なヒゲをはやしている。25年前の面影とは全く違うが、波を追いかけるときの気迫、海を見つめている時の鋭い目付きはジェイソンそのものだ。

イチイチ長い話をして確認するのも面倒なので、一発でyesかnoかわかる質問が浮かんできた。

彼は25年前、フランス人の彼女と付き合っていたのを思い出した。そしてその彼女は欧米人にしては異常に小さく多分150cmも満たない身長だった。

「これを聞いて確かめて見よう。」

海の中ではサーフィンに集中していたので25年前のジェイソンと同じ名前のジェイソンだしサーフィンスタイルが似てるなぐらいにしか思わなかったが、海から上がりしばらくの間、彼の雰囲気を思い出していたら、絶対に25年前のジェイソンだと言うことがほぼ確信となった。

夕方日暮れ時に宿の前を散歩しているとジェイソンも欧米人の女性と立ち話をしながら夕日を見ていた。2人の会話が途切れるタイミングを待って「ジェイソン25年ぐらい前凄く小柄なフランス人のガールフレンドがいたよね。」と訪ねたら目をまん丸にして「YES」と返事が返ってきた。それからはお互いの近況や昔話に花を咲かせた。

当時彼がオーストラリアのレノックスヘッズのサーフボード工場で働いていた事も覚えている。そんな彼は今FLANAGAN SURFBOARDと言う(日本では馴染みは無いかも知れないが)自社ブランドを持っている。そして現在はバリに拠点を置き仕事を進め、家族がいるフランス、オーストラリアとワールドワイドに飛び回り、暇があれば良い波を求めインドネシアの1級ポイントに現れる。若い頃からサーフィン人生を歩み始め50代半ばの現在にはビッグネームのシェーパーとなりサーフィン人生を貫き満喫している。

そんな姿を見るととても嬉しく思い。私も彼に近づかなくてはと言う気持ちが生まれてくる。

中学生の時の遊びで始めたサーフィンだが気がつけばもう37年もやっていることになる。現在もまだ進行中の長いサーフィン人生の中で影響を与えたのは、ジェイソンやミックなどオーストラリア人との出会いだ。

私がまだオーストラリアに住んでいる当時、バリに来ると沢山の格好良いサーファーがいた。すでにインドネシアに住みついて一生のサーフィンライフを確約した人、これからサーフィンライフを手に入れようと試行錯誤しながら頑張ってる人、バリに旅行で来てた当時そんな彼らに出会い、彼らのライフスタイルに憧れてバリに移住を決めたと言っても過言では無い。

バリ移住を決めたのも25年ほど前、昔の話だが思い出すと、「今と比べて昔は良かったな。」と思ってしまう。

私の偏見だが、その当時インドネシアには、欧米人サーファー=オーストラリア人、アジアンサーファー=日本人で、女、子供のサーファーは極少数、サーフスクールやレッスンなんてものは無かった。それで毎朝髭の手入れをしヨガやジムで身体作り、アイフォン片手に握りしめ、朝食のアサイボールを食べてる姿が似合う様な奴はいなかった。

同世代のジェイソンに偶然再会して昔話をしていると、やっぱり昔のサーファーは良いなと心をほのぼのさせてくれる。