気がついたらまたスンバワにいた。

4月28日。100日間のスンバワ滞在から戻った翌朝、普段は乗らないボードキャリアが付いた貸し出し用バイクのエンジンの調子をこっそりと確かめ、壊れたキャリアにテープで巻いていた。

イスラム教徒の奥さんと子どもたちは5月13日の(日本で例えるとお正月)レバランという大きな宗教儀式に参加の為に帰郷する。

毎年その行事に参加しない私はその期間中は何時も一人になる。普段は仕事をしているので一人になったからと何処かへ出かけることはできないが、今年は例年とは違う。

特別どこかに行ってしまおうなど行き先はないのだが、そんな事を思いながらバイクの補修作業を進めていた。

今年はコロナがあるためレバランの帰省で人々の移動を制御させるため5月6日以降は基本飛行機などの交通機関を使っての移動が禁止されている。

奥さんにレバランは13日だけれど6日からの移動制限もあるし「いつ帰省する?」と訪ねたら「3日の朝に出発したい」と返事が帰ってきたので、早速携帯でジャカルタ行きの片道切符を手配した。

「バリに戻って1週間も経たないのに」もう少しゆっくりしてから行けばよいのに、と思うが移動規制があるので、バリでゆっくりしていると帰郷を逃してしまう。そんな事でスンバワからの荷物を片付けたすぐ数日後には、ドタバタとまた荷物をパッキングしていた。

そしてあっという間に5月3日帰郷の日が訪れ、私の運転で朝早くバリの空港に家族を送った。自宅に戻るとついさっきまで皆でにぎやかだった部屋は私一人で音が消えたように静まりかえっていた。

仕事も予定も何も無く一人家にいると急に寂しくなってきて、いても立ってもいられない気持ちになり「よしまた旅立に出てしまおう」と。家族を送り出してから1時間後には決心していた。

そう決めてからは頭の中は旅の事しか考えない。それでそういうモードに入ると行動は速い。この日は休みのスタッフインドリーに電話をかけまた留守にする事を伝えて、次の旅に必要な物を頭の中に浮べすぐに準備に取り掛かった。そして仮眠を取り真夜中には補修したバイクのラックにボードを乗せて、ごく少量の荷物をリックサックに詰め込んでパダンバイの港に向かった。

行き先はいつも乗る船でロンボク行き、翌日から波が上がるのでロンボク島でのサーフィンも考えたが船には他に3人ほどブラジル人のサーファーたちが乗っていた。彼らはロンボク島のデザートポイントを目指して行くのは尋ねなくても分かる。彼らを見ていたら、何故か「いや俺はロンボク島じゃない、もっと遠いスンバワに行くぞ」という気持ちになり東ロンボクからフェリーを乗り継ぎ一気にスンバワの港まで来てしまった。

ウエストスンバワに行くにはこの港か らそれほどくない。港からバイクに乗り左折すれば90分で到着する。左折地点になるギリギリまで、「どうしよう?」と考えたが、選択はそこから350km先にあるレイキーピークを目指して直進した。

それで1泊2日、合計22時間かけて昨日2週間ぶりのレイキーに戻ってきてしまったのだ。

やっぱり選択は間違ってなかった。バリで1週間過したおかげで一時はマンネリ化してしまっていたスンバワの良さが再確認出来た。

今日の朝はまだ誰もいない大好きなペリスコープの海を眺めながら、一瞬目を閉じてみた。聞こえるのは波の音とかすかな鳥の鳴き声だけ。幸福感が肌から滲み出してくるのをしっかりと噛み締めてから、一人ペリスコープの沖を目指しパドルアウトをした。