久しぶりの電話

早くも3月も残すところ3日となりインドネシアが入国封鎖をはじめてから一年が過ぎた。

1年前と少しまでは宿泊やサーフボードオーダーの問い合わせで必ず毎日メールのやり取りがあり、細かいことや詳しく聞きたい人からは電話がかかってくることも良くあった。

しかし入国封鎖以来メールも電話も全くなくなってしまったと言っても等しいぐらいだ。それから大分時間が経ったので人と通信や通話をしなくなった生活にも慣れてしまった。でも昨夜は久しぶりに10代から付き合いがある年齢は私の3つ上で伊豆下田の友達から電話があった。

電話の向こうからは何時もと変わらない漁師町育ちの少しぶっきらぼうの話し声が聞こえた。伊豆生まれの彼は大学入学で上京後そのまま東京近辺に居付き建築関係の仕事をしていた。30歳を境に自立、親方となり調子の良い時は月200万円稼いでたらしい。しかし45歳を境に実家にいる両親が年老いたため東京での仕事をたたみ帰郷、長年経験を積んだ建築の仕事からサーフボード工場でラミネートマンとして地元での新しい人生を踏み出したのだった。

この近年SECRET GARDENに遊びに来た時の話ではサーフボードの仕事もお小遣い程度しか稼げなく実家の干物店の手伝いや夏場は浜のライフガードなどで生計をたてているという話を聞いたのは記憶に新しい。

しかし電話の一言目は、「今年は行くぜ。工場が大きくなりパープルスポーツとも契約を結んだ。今年結果が出なければまた土方でもなんでもやればいい。今年が勝負だ」と張りのある声が聞こえてきた。こんなコロナの不況期にとても良い話だと思った。

「それでYUUお前のところはどうなんだ?バリは観光で行けないし全然ダメだろ。ダメなら言ってくれ、今金に余裕が無いと言っても500万円ぐらいは用意できるからよ。遠慮するな。」

流石は昔からの友達、なんとも嬉しいことを言ってくれるではないか。と思いながらも

私は、「もう1年間無収入が続いているから苦しくないと言えばウソだけれど、でも本当に困っているなら今家族でスンバワにいないよ。日本に行って土方でもして働いてるよ。」と返事をした。

彼にはSECRET GARDENを始めた21年前当時、お金が底をつき仕事をお世話になったことがある。

日本は冬でバリが丁度雨季に入る閑散期、川崎にある彼の建築の仕事場に働かせてもらいに行った。1週間ほどそこで働いたのだが年末年始で仕事が休みに入るとのことで、日当で働く私に休みに入ると稼ぎが無くなるだろうと配慮してくれ期間限定で仕事を紹介してくれたのだ。その仕事は現地ヤクザが経営する違法賭博場の仕事だった。日本には現金を稼ぎに来たのだからヤクザだろうが違法だろうがそんなことは気にならず1日1万円の日当という条件を喜んで引き受けた。

年末年始はその仕事でしのぎ休みが終わりさて建築の仕事に戻るぞと思っていたのだが、「もう少しの間そっちにいろよ。」と友達から伝えられた。私の仕事ぶりが良かったのか人手が足りてないのかは不明だがその後もヤクザは私のことを彼の仕事場に返さなかったのだ。彼もいくら知り合いでも相手がヤクザということで返してくれと言いにくかったかと思う。結局3か月ほどその違法賭博場の仕事を続けお金を握りしめバリに帰ったのだ。

そんな出来事を回想しながら、「そういえば彼は10代の時から仕事とお金に運がある人間だった。」ということを思い出した。だから今年のパープルスポーツからの仕事もバンバンこなし来年にはさらに力をつけていることだろう思う。

メールも電話もほとんど無い今。スンバワで彼の元気な声を聞き嬉しくなった昨夜の出来事だった。

今日もレイキーはスモールウェーブ記録さらに更新中。沢山暇な時間があるのでこうしてブログを書いてみたり、海で泳いだりして過ごしています。