山を思うと、胸がはち切れそう。

40歳を過ぎてから始めたて登山。ロンボク島のリンジャニ山に初めて登ってから、帰りの空港でバリ行きの飛行機を待っているとき、その日の朝までいたリンジャニ山の景色を思い出していた事を印象深く覚えている。

そう、あの時からサーフィンしか知らなかった私の人生は変わったのだ。

リンジャニ山に初めて登るまでの5~6年間ほどは身体の調子が悪くなり、人生かけてたと言っても過言でもないサーフィンでは大きな波や掘れた波に乗れなくなってしまい。この先の自分が生きていく道を見失っていた。

海に行っても以前の様に波に乗れず自信を無くし、サーフィンから少しずつ遠のきジャズを聴くという新しい趣味を見つけて数年が経ったとき、久しぶりにサーフトリップに行ってみようとバリ島から飛行機に乗りスンバワを目指した。

スンバワ行のフライトは朝、その日は快晴でバリ島と経つと30分ぐらいでお隣の島ロンボク島を通り過ぎた。小型飛行機で低空飛行のため、丁度インドネシアで2番目の高さ3750mのリンジャニ山を並行する様に飛んだ。

その時見たリンジャニ山の景色は緑色が広がり、頂上直下は岩肌が見えていて、勿論人の姿などは何も見えなかった。丁度その時ビル・エヴァンスのアリス・イン・ワンダーランドという曲を聞きなが景色に見入っていたので、イヤフォンから流れてくるテンポの良いジャズの音色と山の景色がマッチしてしまっていた。

「よし今度はあの山の中でジャズを聞いてみよう。」と思い、1週間のスンバワトリップを終えてバリに戻るとリンジャニ山行の計画を練っていた。

目的は登山では無く、山でジャズを聴くこと。だったが、帰りの空港でバリ行きの飛行機を待っているとき遠く雲に隠れたリンジャニ山の方向を見つめ長ら、なんだか今までに体験したことの無い心境になっていた。

今思い出すと既にこの時には山に心を奪われていたのだ。

それから登山熱は冷めることなくインドネシアの山を登りまくり、それ以上の高い山があるマレーシアにも行き、ついにはヒマラヤの山まで登るようになってしまった。

初めてのヒマラヤは厄年を終えた翌年、それから必ず毎年ヒマラヤを訪れて既に7回。

以前までサーフィンに没頭していた自分だったが、ヒマラヤの山に登るようになってからは自分はサーファーで無く登山家だといえるほど行動も人間性も変わって来ていた。

サーフィンは中学生から初めて37年になるけれど、実はサーフィンを始める前小学生だった頃は自分の憧れは海では無く山だったのだ。東京で育った都会っ子の私は山に行きたく親にスキーに連れて行ってくれと冬になるとおねだりをしていた。結局実現したのは1回だがその時の雪山の景色は強烈に心に焼き付いた。

しかしサーフィンを初めてのめり込むと山のことなど一切思わなくなり遠い世界になってしまったが、また40歳を過ぎてから海より山が好きになってしまったのだ。

サーフィンにハマっていたときはサーファー独特ののりなどを真似していた部分もあるけれど、自分で自分を自己判断してみると、私はいわゆる見立ちたがりや、ファッション好き、パーティー好きのサーファーといわれる性格ではなく、地道に科目で文句も言わず。ファッションもあまり気にせず目立たない。登山家の性格の方が近いのかなと思う。

だから自分はサーファーでは無く「登山家で趣味がサーフィンなのだ。」

でもそんなに好きな登山にヒマラヤで過ごす時間。毎年11月に行くので、通常ならもう9月の今頃から心はヒマラヤモードで走り込みなど登山に膳えたトレーニングも調整していく季節なのだが、今年も去年に続き行けない。

これで2シーズン続けてヒマラヤに行けない。コロナ騒動で仕事に趣味も色々と妨害を受けて麻痺状態が続いているが、最近忘れかけていたが私の人生で「一番最高だー」と思える時間はヒマラヤで過ごしている時だった事をまた思い出してきた。

毎年ヒマラヤに通っていた時は記憶が新しいのと、また次の年も行くからと言う事で写真を見返す事もあまりなかったが、記憶が遠ざかっていくにつれて、写真を見ながらヒマラヤで仲間たちと過ごした素晴らしい時を思い出しながら過去の思い出に浸っている。

ヒマラヤの事を思い出すと、胸が張り裂け発狂しそうなぐらいな思いになってしまい、今すぐにでもあの場所に。と感情が湧き出てくる。

まだ先になるけれど次の目標はスンバワ発ヒマラヤ行きのスンバワ帰りだ。

コロナ騒動が終わったら少々金銭的に苦しい状態でも、家族を説得して一度ヒマラヤに自分をリセットしに行こうと思う。

うわー。ヒマラヤ行きたいー。 と大声で叫びたい気分だ。