2月9日の今日は私にとって特別な日

今日は予報通りに波はサイズダウン。朝から昨日良い思いをしたペリスコープに出向いたがうねりの方向、波のサイズが足りず30分も入らないうちにサーフィンは終了。

今日2月9日は私にとって3つの偶然が起きた特別な日なので、どちらかというとサーフィンをしてハイテンションになるよりも、過去のことを思い出したりして心を沈静させるのに向いている日なのだ。

まず今日は長女のアオリカが15歳を迎える。元奥さんとの離婚で彼女が2歳の時から別々に暮らし8歳の時に元奥さんの再婚を機にオランダに移住してしまったので、今日の誕生日を一緒に祝ってあげることは出来ないけれど、スンバワからハッピーバースデイと言葉を送りたい。

15年前の今日がアオリカが誕生した分けだけれど、9年前の同じ2月9日に私の父が他界した。父は別に身体が悪いところも無かったのだが、日帰り旅行に行った際に脱衣場で心臓発作で倒れそのまま亡くなった。

確かこの時は妹(次女)から父が倒れ急死したと電話があり、当時父は70代前半で初老にも見えず健康体だったのでまさか父が死ぬなど頭の片隅にもなかったので突然の知らせに驚いた事を覚えている。この時は父の死を機に9年ぶりに日本に訪れることになった年だ。

そして3つ目は、5年前の日本の冬の時期にヒマラヤ登山で1か月間の山籠もりを終え、ネパールの首都カトマンズからバリに帰る前日に普段はまず連絡を取らない妹(長女)からメールが入っていたので開いてみると、なるべく早急に連絡をという内容だった。

その内容は滅多に連絡を取り合わない妹からのメッセージだったので大体何が起こったのかは検討がついた。それで電話をしてみると母がガンで余命6か月とのことだった。

その報告を聞いた夜はネパールのカトマンズの街で母のことを思いながら、あてもなくふらふらと歩きながら幼少のころの母との思いでなどを回想したのを覚えている。

バリに帰ってしばらくするとまた妹(長女)から連絡があり先週ネパールにいたときに聞いた6か月の余命が1か月になったとの連絡だった。1月、2月はSECRET GARDENの仕事は暇だったので、母親を看取るつもりで急いで日本行きのチケットを片道手配した。

私が日本に到着した当時、母は普通に生活をしていたのだが滞在2週目ぐらいに母親が危篤状態になり病院に運ばれた。そこは末期ガンで死んでいく人が入る病棟だった。

バリに住んでいると何故かあれが何年前だったなど過去の記憶が乏しくなるのだが、その日のことはよく記憶に残っている。末期がん患者の病棟に運ばれたのは5年前の2月6日、意識も朦朧とし呼吸器とモルヒネを注入され何とか生きている状態。心拍数の動きなどが分かる計器が設置されて、あとは画面に波打つ心拍数の線が真っすぐになるのを待つだけだった。

2月7日、8日ともう話すこともできなくなり植物人間状態だけれどまだ生きている。そして2月9日を迎えた、私はなぜかこの時、「お母さん今日死んでくれ」と強く心のなかで思ったのだ。

この日が体力の限界だったのだと思うが、私の思いも通じて5年前の2月9日の夜に母親他界したのである。

今日2月9日はアオリカの誕生日、父の命日、母の命日、偶然にも3つ重なった特別の日なのです。

長女のアオリカに「おじいちゃん、おばあちゃんはアオリカの誕生日が命日なんだよ。」と話すことがあるが、喜びもせず、悲しみもせず、不思議な心境な顔になる。

4年前の左アオリカ、中ロブチェ、右親戚の子