2020年にコロナ騒動が始まって、なんにもやる事なくなってお隣のロンボク島やジャワ島に毎月の様にサーフトリップに出かけるようになり、勝手な思い込みで「2021年には元に戻ってまた仕事が盛り上がるから。最後の旅行に雨季でもそこそこ良い波が立つレイキーピークに行こう。」とその年の12月1日から3週間の家族旅行に来たのが始まり。2021年になっても待てど待てどコロナ騒動は終わらず、バリ島にいても仕事が無いので雨季が明けるまでまたスンバワに戻り、雨季が開けてゴールデンウェーク前になってもまだ騒動は終わらないのでまたコロナ騒動もマスク規制もないスンバワに逃避行繰り返しているうちに、いつの間にか家も建ててしまい2年が経った。
はじめの頃は景色に空気感、全てが新鮮に感じ、暑くても寒くても曇り空でも雨の日でも毎日が楽しかった。バリの家は壁で囲まれ景色はないけれどスンバワの家は広い景色に日の出と夕焼けが自宅のベランダで酒を飲みながら眺め渡せる。でもいつからかわからないけれどそんな景色も空気感も日常となり、当たり前に感じはじめて来た。
流石に20年以上住んでいた場所からスンバワに移ってきたのですぐにはホームの様に感じられなかったけれど2年も経つと大分スンバワ色に染まってくる。はじめのうちは近所を散歩したりバイクライドしたり、遠方にも泊りがけでよく出かけた。ハッピーホームの敷地が広く景色のある家に住んでいるせいでストレス、イライラが溜まらないというせいもあるが、スンバワになれてしまった今では出歩く回数はめっきり減り、波チェックに行くのも億劫になり、3階建ての貯水槽にハシゴをかけててっぺんから遠くに見えるレイキーピーク、ペリスコープを波チェックをしている。
人間はスンバワやヒマラヤの様な自然豊富の環境でもコンクリートだらけの東京やシンガポールでも良くても悪くてもいつの間にか環境になれ同化してゆく、でも同化した頃には、はじめは良かった思い悪かった思いも当たり前となり、見ている景色に感動が薄れ単調な生活となってゆく。こういうのって自分がいくら同化しないように。と頑張っても時間が経つと必ず同化してしまう。
日本のシステムが大嫌いな私だが過去に数カ月単位で日本に行ったとき、「絶対に俺はつまらない人間のようにはならない。」と心に決めつけていても1ヶ月もすぎると何時の間にかつまらない人間の様に仕草や言動外似てきたりする。日本に長年住んでいる外国人が日本人みたいな顔つき、仕草になってしまうのがその良い例だ。
先週ハッピーホームのメンバー服部さんが後輩を連れて遥々奄美大島から訪れた。3年ぶりの国外でスンバワに来るのは初めて。スンバワに来たこと無いのに家を建てようと思ったのはコロナでどんよりした社会と自分自身を元気づけるためだと行っていたが、「良く何も知らない場所に家を建てる勇気があったな。と関心してしまう。」
そんな奄美から2人は勿論サーフィンもやる。初めて一緒に入ったナンガス、レイキーピークエリアの中でも特に水が透き通り白砂のビーチ、日本やバリ島在住の友達とサーフィンに行くと決って「水が綺麗、すごい景色」と感動するのだが、二人と初回サーフィンでのナンガスでゲッティングアウトの際何もコメント無し。そしてその後色々なポイントで一緒にサーフィンしたけれど一度たりとも感動の言葉は聞かなかった。2人はそこで何を話していたかというと「ここは奄美の〇〇ポイントみたいだ。」と比較話がほとんどだった。私は奄美大島には行ったことはないけれど海と自然が綺麗だと言うことは知っている。後で服部さんから天美の写真を見せてもらったけれど、もしかするとスンバワより綺麗では無いか??という写真が数々登場した。
2人はそんな綺麗な場所から来たから感動が薄いのか?といったらそれも違う。1週間毎日行動を共にしていたけれど、私にはもう慣れ過ぎて感動しない場所でも2人と一緒に行くと2年前スンバワに来た時のような景色に見えて来て初心を思い出させてくれた。完全に2人の心が私に乗り移りそのような景色に見えたのだろうと思う。そして2人は1週間の短い滞在であったが少しスンバワ化したのだろう。
4日前、2人が帰国後はあの時見えた景色は無くなり、また何時も見ている普通の景色に戻ってしまった。
今日は何が言いたかったかと簡単に説明すると人はどんな環境にも慣れてしまう。と人の心は言葉にしなくても乗り映る。という事でした。