バリの事を思い出す日が増えてきたけれど····

晴れでも曇りでも、または雨が降っても毎日が良いなー。という気持ちになれるスンバワの空気感だけれど、それも6か月以上連続で滞在している今は何時の間にか日常となってしまい。以前までの特別なフィーリングは薄れて来てしまっているような気がする。

先日コンちゃんとマデがバリに帰ったとき、先月リチャードをバリ行きの飛行機の出発時刻に合わせて空港に送っていったとき、友達が去っていった後、ふとバリの事を思い出し、皆どうしてるのかな?と懐かしい気持ちになる。

喧騒が多いバリに暮らしていた時は、山に登ったり、ここスンバワなど人間と人工物が少ない場所を求めていたけれど、そんな場所も長くなると今度は楽に暮らせる都会も良いな?と思い始めたりする。

首都カトマンズから滑走路の長さの400mの世界最小で世界最大危険の標高2800mのルクラの空港に降りると、そこには舗装道路も車もバイクも無い、そこから移動するには徒歩または馬などの動物乗る以外無い、ヒマラヤでの登山はそんな場所からスタートする。ヒマラヤでは最低6000mの山からの登山となり、標高2800mのルクラから山の登り口までは10日間程歩いて向かう。空港があるルクラは電気もあり多くの人が生活し家畜や農業、商店などもあり、今私がいるスンバワよりも田舎だけれど人間が生活できる場所、そこから標高を上げながら5000mの登山口に向かっていくのだが、標高が上がり歩く日数が増すに連れて人の数は減り商店の数は数キロおきになり電気も無くなっていく、そして最後の2日間は人工物が一切ない場所をひたすら歩き、簡易テントが設置された5000mの登山口に到着する。そしてそんな場所から登山がスタートする。

時にはそんな場所に3週間以上滞在するのだが、目的の登山を終えると人里恋しくなり下山を急ぎたくなる。下山で出発地点の空港に戻るには3~4日かかり、空港のあるルクラに到着すると一刻も早く飛行機に乗り首都カトマンズに戻りたい気持ちに駆られる。一度悪天候で飛行機がキャンセルになったときは「翌日のフライトまで待てない。」と大金叩いてヘリコプターでカトマンズに戻った事もある。

そんな山奥から飛行機やヘリでカトマンズに到着するとホッとした気持ちになる一方、数日前には人工物が何も無い大自然の中のヒマラヤの山の頂上に立った事が遠い昔の夢の様感じてくる。

厳しい山行生活から喧騒としたカトマンズに戻り、美味しいもの食べて便利に買い物もでき、コンクリートで守られた建物の中で寝れ「快適だ。」と思うのはほんの2~3日の間、ヒマラヤの山の中ではハイテンションで活き活きとしていた自分の顔もだんだんと陰り始めてくる。

そしてその次はバリへの帰国だ。ネパールでは最大で首都のカトマンズでも20~30年前のバリのような景色、そんな場所から道は整備され、車は新車だらけ、夜は光が眩しいほどでおしゃれをした人間が大勢いる場所に戻るとその違和感はかなりのものだ。そしてバリに到着したその時から次のヒマラヤ登山の事を考え始めてしまう。

友達がさり寂しい気分でバリの事を思い出すけれど、実際に行ってみるとヒマラヤ登山から帰ってきたときと似たような心境になることだろう。

こうして自分の気持ちを振り返って見ると、人間とは隣の畑がよく見えるもので無い物ねだりばかりのわがままな生き物だと思う。