スンバワに来てから日本人に会わず、日本語も使わず。

後3日経つとバリ島を旅立ってから4ヶ月が経つ、スンバワにいるとあっと言う間に時間が過ぎるように感じるが、その一方で時間が過ぎても以前と変わらず、変化が無い様にも感じ取れる。

毎日スンバワハッピーハウスの現場ヘと出向き40km離れた町にある資材屋への材料発注に出掛ける繰り返しで、単調な生活パターンが続いている。はじめの頃はそんな単調な生活にストレスを感じ、「どこか違う場所に足を伸ばしたいな。」など思っていたけれど、最近ではそんな気持も薄らぎ単調な生活に慣れてしまった。

secret gardenが通常営業の頃は多くのゲストの方が訪れて、毎回違う人と色々なお話しをして、毎日日本語の会話をするのが普通だったけれど、スンバワに来てから4ヶ月、メール、電話で日本語を使う以外、日本語を話す機会も無いし日本人とも対面していない。

私は特に人嫌いというわけでも無いけれど、長い間日本人と会わずに日本語を話せなくても何も問題なく暮らすことができる。人によるけれど、海外生活いている日本人で、たまに日本人に会うと話が止まらなくなる人も多くいる。

そこでなんで私は長い間日本語を話さなくても、日本語が懐かしくもならず大丈夫なのかと考えたところ、こんな結果がでた。

現在家でも現場でもインドネシア語を使い、たまに海で会話する西洋人サーファーとは英語で話している。

日本語を使う機会といえば足をぶつけたりして、とっさにでる言葉「痛い。」とか正面からすごい勢いでバイクが迫ってきたりして「危ないな。」など、たまに一人で日本語を発する程度。

私の場合何語で話しいても共通して言えることなんだけれど、話を深堀して細かい事まで人に伝えたい、話して相手に納得してほしい、共感してほしい。自分の武勇伝などを聞いて欲しなど、第三者にどうしても自分の話を聞いて欲しいという気持ちが薄いようだ。

どちらかと言うと自分の話よりも、お話好きな人の話を聞きながらその話を掘り下げていく方が楽しく感じる。それと自分から人に向けて聞いて欲しい話を発信しなくても何らストレスを感じない。だから日本語を話さなくても、何時も周りに人がいなくても寂しさを感じないではと思う。こんな話をするとこいつはかなり偏屈者と思われるかもしれないが、そんなわけでもなく「私は一人で生きている。」などとは全く思わないし決して人嫌いな訳でも無い。

私は20歳のときから人と対面する寿司の仕事に付き、その後はsecret gardenでも対面仕事を続けて来た。対面仕事は人気商売みたいな所もあるので、一見、楽しく面白い、よくしゃべる人が人気が出るのかと思いがちだが、実はそうでは無いのだ。

寿司屋やsecret gardenのカウンターに来る人はそこのマスターとの会話を楽しみに来てる人が非常に多い、それで大多数の人は一人では寂しいので隣に座ったお客さんとの会話を求めたり、マスターに自分の話を聞いてもらいたい人が多いのだ。だから自分の武勇伝などベラベラ話し、自分先導の会話を作るマスターは好まれる人もいるけれど毛嫌いされるパターンも多いのだ。

私の場合はカウンター仕事で、人の話に合わせて、その中の会話で質問してみたり、自分が思った事をアドバイスするパターンが多い、自分中心話で人に対してゴリ押しには話さず、カメレオンの様に人の話に合わせてどんどん色を変えていく。

そんな私のような、一見変わり者の日本語を話さなくても寂しくならないような人間がカウンター商売には向いてるんでは無いか?と思う。

secret gardenのカウンターを思い出してみると毎晩違うメンバーで宴会が続き楽しかったなー。あっ何だか日本語と日本人が恋しくなってきたなー。