緩和もつかの間、また変異株?そんなのもうどうでもイイ。

2~3日前からまた「何とか変異株が。」というニュースをよく見かけるようになると、早速今日の朝、「インドネシアの隔離が3日から6日に伸びた。」と数多くのsns投稿が目に入ってきた。

ついこないだまでは、タイにフィリピン、そして日本やその他各国が規制を緩和しはじめ「良い調子だ。」このまま行けば来年前半期には、バリー日本間にも直行便が就航して、ワクチンさえ打っていれば以前の様に行き来が出来るようになりそうな兆しがあったけれど、それもほんのつかの間。世界はまたまた封鎖の方向に向かっている。

コロナが出始め2年近い月日が経つが、締め付けて、緩和したと思ったら、また締め付け、もう何回こんな事を繰り返しているのだろう。

今は誰もマスクをしていないコロナとは無縁なスンバワ島からそんなニュースを見ているので、どうも実感がわかない。バリにいた約2ヶ月前まではコロナが終わってまた元の生活に戻れることを、心のどこかで期待していたから変異株が出たりコロナの状況が悪くなって来たりすると、いらついた気持ちになってしまっていたけれど、過去の生活も過去に描いていたこれからの人生設計もスッパリ切り捨てて、スンバワに拠点を作るために前進を続ける今は、くだらないコロナニュースを見てもいらつきも怒りの心も起きなくなった。

職も収入も大きなお金も、失ってしまったけれど、それも徐々に過去の話になりつつある。自分は何も悪い事も失敗もしていないのに、これらを奪われてしまった事、それに大きな苛立ちを感じていたが、その気持ちもだんだん小さくなってきている。

でもそんなことより、他に一番残念な思いがある。コロナ前まで、今の季節は欠かさず通っていたヒマラヤ登山だ。それがもう2年間も行けずに、今後いつ行けるか分からない状況でいることだ、よくヒマラヤの景色やヒマラヤにいるときのフィーリングを思い出すのだけれど、そうすると胸が「キューッと」痛くなる。今は都会のバリを離れて自分が好きな大自然のスンバワにいるのだけれど、ヒマラヤに行きたい私の生き甲斐は変わらない。

なんだかヒマラヤから少し遠ざかってしまっている今、そのことだけが心残りでしょうがない。

だからコロナが落ち着きスンバワでしっかりと生活基盤を整えて、ヒマラヤに行ける日が非常に待ち遠しい。