ドリームがリアルになると、またドリーミング。

いま遅い午後になりやっと一段落。大好きなスンバワにいるんだけれど前回までの滞在とは大違い。スンバワドリームハウス完成に向け、神経シャッキリさせて、脳みそを回転させる毎日が続いている。

今は、仕事の事を一瞬考えないようにとベッドに横になりビル・エヴァンスをシャッフルで聴きながらブログを書いている。そしてシャッフルの第一曲目が、登山で登頂したとき、必ずはじめに聴く曲、(私のサミットソング)Hevens for sakeと言う曲が流れている。

うーん。スンバワドリームハウスはまだ登頂(完成)してないんだけれどー。この曲か。と、どうでも良い事を考えながら一時の時間を楽しんでいる。

アウェイの土地ではじめたプロジェクトは、今日で丁度半月が経つ、日に日に仕事の流れをつかんで、棟梁ともうまいこと連携プレーがとれるようになり、日々の日課のように仕事がこなせるようになってきた。

自分で言うのもなんだが、バリ島、そしてもっと都会の日本から見るとかなり僻地のスンバワだが、パソコンと携帯電話があれば日本にいる時のような速さで仕事をこなせる自分がいる。

前回までのスンバワ滞在は主にサーフィン、そしてスンバワドリームハウス計画を夢見ながら夢の中の時間を過ごしていたが、今はこうしてスンバワドリームハウス計画は始まっている。

「そう、もうドリームでは無い。」夢を見ていた時間は過ぎ去り、リアルタイムが始まっている。だからスンバワドリームハウスで無く、スンバワリアルハウスに改名しなければ。またどうでも良いことが頭の中に浮かんできた。

話を元に戻すと僻地のスンバワでもパフォーマンス良く仕事をこなせる自分。もう都会生活には一切憧れも無いので、多分スンバワよりもっともっと僻地に行ったとしても仕事をこなしながら生活できるだろうなー。なんて考えたりしていたら、2年前、ヒマラヤで大雪にあった時に急遽乗ったヘリコプターのパイロットの事を思い出した。

ヒマラヤはネパールという国、人生初のヘリコプターに乗ると私の横にいるヘリコプターパイロットは若いスイス人だった。どこの国の人がヘリコプターパイロットなんだろう?など一切頭に無い、当たり前にネパール人がパイロットだと思い込んでいたので、スイス人がヒマラヤ山脈でヘリコプターを操る仕事をしている事に随分驚いた。

ネパールの首都カトマンドゥからヒマラヤ山脈の入り口ルクラは超小型飛行機に乗り標高2800mの危険度世界No,1の空港に降りる。カトマンドゥールクラの飛行時間は30分ほどだが、そこは全くの別世界。カトマンドゥに住んでいる外国人はいるが、ヒマラヤの山の中の僻地。ルクラに住んでいる外国人なんて聞いたことは無い。

ヘリコプターに乗り、パイロットのスイス人と話をしてみると、なんと彼はヒマラヤの山の中ルクラに住んでいるとのことだった。私からするとカトマンドゥとルクラは遠く遠く離れたところ。だが、毎日ヘリコプターを操縦してカトマンドゥとヒマラヤ山脈を飛び回る彼にとっては、私の距離感とは全く違うようだ。

そのスイス人の彼のライフスタイルを、「いいなー。俺もヘリコプターの操縦士になり彼のような生活をしたい。」と心底思い、「俺もどうにかなれないものか」とネットでも検索してしまった。

でも、もう50歳の年齢からではヘリコプター操縦士になりヒマラヤを飛び回る仕事を得るのは、不可能に近いこと。

私はこうして今スンバワにいるけれどサーフィンをしていた事と、人生たまたま偶然が重なりここにいるだけだ、「ヒマラヤでヘリコプター操縦士になりたい。」の様に憧れの職業の為にたどり着いたわけでは無い。

50歳でもう死ぬことも考えてしまうような将来も長くは無い年齢だが、もし誰かに「将来あなたはどんな職業に付きたいですか?」と聞かれたら、ヒマラヤでヘリコプターの操縦士かビル・エヴァンスみたいなピアニストになりたいと答えるだろう。

スンバワドリームがリアルになったら、また他のドリームの事を思ってしまうなんて、なんて自分は天邪鬼なんだと思ってしまう。