本日ロブチェの初登校日

バリ島ではコロナが始まって以来学校もほぼ封鎖状態、1年間学校に通わないのに進級している。なんて状況だが、ここスンバワではコロナ感染レベル低くなると、制服を着た子どもたちが通常通り学校に通っている。「バリでは通学姿を最後に見たのはいつだろう。」と思えるぐらい長い間学生の姿は見ていない。スンバワで制服姿の元気な学生達の姿を見ていると、バリ島で学校に行けない子供たちが可哀想に思えてくる。

現在ナンガスという所で借りている家の周りには、数多くの子供たちが住んでいて、皆朝早くから親のバイクの後部座席に乗り学校へ送られていく。

息子のロブチェと仲良くしてくれている、レハンとミヤも午前中は幼稚園に行ってしまい、ロブチェは遊び相手が居なく朝からつまらなそうな顔をしている。

子供たちが休みの日曜日以外は遊び友達がいない朝が続いているのだが、そんなつまらなそうな顔をしているロブチェの姿を見て、教えてくれたのだろうか? ある日レハンのお母さんが「途中入学もできるのでロブチェを幼稚園に入れたら。」と教えてくれた。

ロブチェは日本だと幼稚園の年中だ。まあインドネシアも日本と同じ633の学業制度なので、こちらでも現在は日本と同じ年中。

一昔前のバリでは幼稚園に通う子供は稀で、よっぽど裕福な家庭の子供以外は、教育を受け始めるのは小学校からだった。しかし現在ではビンギンでも、ほとんどの子供たちは幼稚園に通っている。

今でも20年前のバリと差ほど変わり無いスンバワ、そんな場所で幼稚園に通う子供はいないだろうと勝手に想像していたのだが、以外にもレイキー周辺に暮らす家庭では子供を幼稚園に通わす数は多いようだ。

レハンのお母さんから幼稚園入学の話を聞いた奥さんのキキは、ロブチェの出生証明、戸籍謄本と両親の身分証明書、入学必要書類を持って、早速入学手続きを行った。

両親が外国人場合、インドネシア国の学校には入学することができない、しかしロブチェの母はインドネシア人のハーフの子供、ロブチェ本人もはインドネシア人で戸籍登録してある。だからスンバワだろうが、インドネシアのどんな僻地に行こうが教育を受けられる。

もし私の奥さんが日本人で、そこに子供がいたら、子供はインドネシアの学校には入学出来ない。そのような家族構成だったとしたら、単身赴任以外、子供に教育を受けさせながら家族全員一緒に暮らすには、外国人用の学校がある限られた地域にしか住めない。

その点、子供も奥さんもインドネシア人の我が家は、スンバワやそれ以上の僻地でも、子供達に教育を受けさせる事ができる。

少し話はずれるが、インドネシアの首都ジャカルタでもバリ島でも、どんな僻地の学校であろうと使用する教科書はどの学校でもみな同じだそうだ。

先生の教え方などで多少差は出るが教育内容が同じなら、どんな僻地の学校だろうが子供本人のやる気次第で学業を習得できるという事。

これは私の都合の良いように結びつけたのだが、だからスンバワに住もうがバリ島に住もうが子供の将来など心配する事は無い。と言う事だ。

無論私の奥さんはそんな事も気にしていないので、スンバワに住むにあたっては非常にやりやすかった。

損得勘定をするとインドネシア人の奥さんと子供を持って、どちらかというとデメリットのほうが多かったが、こういう時こそメリットとなる。

いずれはロブチェをスンバワの学校に通わせなければと思っていたが、到着3週間も満たない内にロブチェのスンバワスクールライフが始まった。

もし奥さんが教育をママだったらスンバワで教育を受けさせることに絶対反対だろう。しかし我が家は旦那中卒、奥さん小卒なので、そんな事は一切気にしない。

スンバワだろうが、もっと僻地で教育を受けようが、結局自分自信に力があれば、どんな場所でも頭角を現すことができ、良い人生を歩めるのだから。