今日はペリスコープのThe Day

毎朝の事だが今日も朝まだ暗いうちに目が覚めた。何時もどのようにして目が覚めたかなど何も気にせずにいるが、今日は何時もと違う朝だった。低い音で「ドーン、ドーン」と地響きのような波の音で目が覚めたのは鮮明に記憶にある。

丁度新月と重なり月明かりもない外は、5時になろうとしている早朝でもまだ真っ暗闇だ。

昨日の夕方からサイズを増し太くなりだしたうねりだが、昨夜聞こえた波の音とは別物という事は分かる、しかし200m程沖合でブレークしている波がどれぐらいのサイズまで上がっているかは目で見るまではわからない。

でも昨日の夕方はレイキーピークに頭半以上の波が来ていたので確実にそれ以上のサイズなのは分かっていた。

真っ暗な中コーヒーをいれて30分ほど波の音を聞きながら今日のサーフィンをイメージしていた。波はまだ見えないが、波が大きい事と朝の10時が満潮という事は分かっている。このような条件の日にはペリスコープに向かうのが私のセオリーだ。

そんなことをしているうちに海の方向と反対の東の空が明るくなり始めた、まだ太陽は登ってこないが白い波のスープは僅かな光でもよく見える。海にまだサーファーはいないので正確なサイズは分からないがミドルの波でもダブルはありそうだ。久しぶりの大きな波がブレークする海を見ていると、だんだんと気持ちが高揚し始めるのと同様に大きい波への恐怖心も湧いて来た。

他のサーファーもそうしているかは分からないが、若い頃から大きい波に入る前は、少しだけだが無理やりテンションを上げ恐怖心を抑えるようにしている。今日も久しぶりの大波に無理やりテンションを上げマインドコントロールをしていた。

心の方も準備できたので、そろそろペリスコープのTHE DAYに向けて出発しようとしていたところに現在茅ヶ崎に暮らす息子からメールが届いた。

その内容はインドネシア語で「Baito tutup」正式に言えばBaitoは日本語のアルバイトの事だが、アルバイトがクローズしたという意味だ。その下には現在掛け持ちで仕事をしている夜の仕事先の居酒屋オーナーからアルバイトへの通達のメールが添付されていた。

その内容はコロナ感染拡大防止のため月末まで店をしめるのでバイトが出来なくなるとの内容だった。その文章を読み終わった瞬間に「ふざけんなコロナなんて大した問題では無いのに、またそんなことをやってるのか。」と怒りの気持ちが湧いてきたのだ。そしてしばらくイライラしていると、本当の話か確かでは無いが昨夜夕食を食べたお店の人がオーストラリアは2024年まで基本トラベル禁止と言っていた話を思い出した。

日本もインドネシアもコロナに対して一向に規制を緩くする雰囲気も感じないし「オーストラリアは2024年まで??」

自分は勝手にせいぜい長くても後1年で少しずつ仕事がもとに戻り生活できる程度の収入が入るだろうと思いこんでいるが、息子からのメールとこの話を思い出し、「もし2024年まで収入が無かったらどうなってしまうのだろう。」と急に不安が襲ってきた。さっきまで無理やり上げたテンションは一気に下がってしまい。自分の声にもはりが無くなったのが分かった。

そんな不安気持ちを引きずりながらオートバイのエンジンをかけてペリスコープに到着すると、今までここで見たことないサイズの波が次々にブレークしていた。昔から大波の日には海の状況を長々と見ているとだんだんと恐怖心が芽生えて来ることは知っているので、今日もバイクからボードをおろしすぐにビーチに行きパドルアウトした。そうすると今までここでは経験したことない強いカレントで波のブレークポイントに運ばれてしまい、いきなり大波を2回立て続けに食らってしまった。息が切れるギリギリでボードを手繰り寄せ、「お願いだからここでセット来るなよ。」と祈りながら沖を目指して全力疾走でパドルをした。

ラッキーな事にはじめの2発を食らっただけでうまい具合に波のウエイティングポジションにたどり着けた。そこには普段の状態の海では確実にお目にかかれ無いバッコリ口を開けたチューブ波が沖合からブレークしていた。

それから2時間ほどペリスコープのTHE DAYを怖い気持ちも交えながら楽しんだ。

海から上がったときは大波のパドルで疲れた肉体と大波から生還した安堵、良い波に乗れた嬉しさで、海に入る前に取り憑かれた不安と怒りは、どこかに消えてしまった。

最高の気分でペリスコープから戻り、先日急にエンジンがかからなくなったバイクを修理屋に取りに行くとバイクはエンジン部分がある後輪とボディー2つに別れていた。

先日修理に出したときは明日修理は終わると言われた。でもまだバイクは解体されたままだ、嫌な予感を感じながらバイク修理をしている人に近づくと、彼の第一声目が「BIG PROBLEM」だった。

色々と話を聞くとエンジンオイルが空になりエンジンが焼き付いたらしい。そんなことを聞けば簡単にはなおらないのは素人の私でも分かる。そして安い値段でなおらないことも知っている。

それで恐る恐る修理代金を聞いてみると、超貧乏滞在であまりお金を使わず来れるのでわざわざバイクに乗り時間を掛けてバリから来たのだが、その修理代は飛行機で往復する値段と変わらなかったのだ。

「もしもお金をケチらないで飛行機乗って来れば楽に来れたしバイクも壊れずに済んだのでは無いか。」と思うと先程ペリスコープの波で心地よくなっていた気持ちが、一気に情けなさい気持ちに変わってしまった。

「あーあ、しょうがないな。」と思いながら、今日はこのネタをブログに書こうと思い、こうして今今日のブログが完成した。