僕の理想の死に場所

昨日からまたサーフィンできるサイズの波が入りだしたレイキー、今日もセット頭の先日同様サイズをキープ。天候はまた雨季に戻ったかと思わせるような視界が分からなくなるほどの大雨の中サーフィンをしていました。

今日は4月2日でバリ島では雨季と乾季の入れ替わりと言われているニュピーから2週間たつのでもうすっかり雨季は終わったのかと思ってましたが、またこの数日間雨が降る日が増えています。

最近インドネシアでは各市町村が任意でワクチン接種を開始したり、規制されていた入国の条件が緩和されたりとコロナ騒動終息に向かっているような雰囲気がでてきました。そんな情報を見たり聞いたりするとSECRET GARDEN仕事再開のことを考えたりもするようになってきました。

12月から数えると3か月を超えるスンバワ滞在、「仕事もないし雨季のバリは波も良くない、バリにいるとマスクしたり検温したりで面倒な生活をしなければ強いられる」とりあえず雨季とコロナ騒動を避けるためにという理由をつけての滞在だけれど、もうそろそろ雨季も終わりだし、コロナ騒動も終盤入ったし、という雰囲気を察して「帰らなくてはいけないのか?」という気持ちがどんどん膨らんできています。

しかし実情はSECRET GARDENの予約帳簿は真っ白のままでサーフボードのオーダーも全くなしなので、バリに戻っても仕事も無い以前の状態と何も変わってないのに帰る意味があるのか?と帰る?帰らないと?気持ちが葛藤しているこの頃です。

家族全員で住まいのバリ島を離れ3か月間もの間他所の土地で生活をしたのは初めての経験のこと、このような経験をすると以前では考えもつかなかった発想にたどり着いたりすることもあるのです。

何度もブログに書いていますがバリ島は急速に都会化が進みそのスピードはコロナで一時停止してますが、コロナが終わるとさらにスピードUPしそうです。そう都会生活嫌いの私には年々住みにくい場所になってきてしまったのです。「このままバリ島で俺の人生は終わるのか?うーん、でもそれは出来れば避けたいな。」など考えることもあるここ最近。「でもどこか他にいい場所あるのか?」と考えると頭の中に浮かんでくる絵柄はヒマラヤの山奥、でもそんな辺鄙な場所は食事面は大変だし、寒いし、実際何年も何十年も住めるのか?それと家族で移住することを想像してみると現実的ではない。

しかし今回のスンバワ滞在でバリのようにマクドナルドもコンビニもスターバックスも大きなスーパーも無い、いつも使っている化粧品やシャンプーもない、お洒落な服もバリまで行かなければ買えない。いつも当たり前に食べているパンやピザ、中華料理に日本食も食べられない。という先進国の人間では到底生活困難な場所だけれど、家族は僕以外全員インドネシア人ということでそんな状況は当たり前で文句ひとつなし。そして停電になろうが断水になろうがそんなことはインドネシア人には当たり前、驚きもしないのです。

そして子供の教育に関して少し触れてみたのですが私の奥さんは僕と同様出来の良い人では無いせいか?その辺はあまり気にしていないようでした。

両親が外国人の子供の場合インドネシアの学校には入学できず、インターナショナルスクールなど外国人専門の教育以外は受けられないので、どうしても外国人用の学校があるバリ、ジャカルタなどの都市に住むことになるのですが「しかし家の子供たちはインドネシア人でインドネシアの学校にどこでも入学できる。だからバリに縛らせずインドネシアならどこでも好きな場所に住めるぞ~」という発想が浮かんできたのです。

まだまだ50歳でこんなことを言ったら先輩方に「まだ若いのに~何言ってるのと」とおしかりを受けるかもしれませんが、もし死に場所を決めれるとしたらバリ島のように忙しい都会の中では死にたくないなと考えるこの頃。山でも海でも草原でもいいので自然が沢山あって人口密度が少なく、この先も中々変わらないであろう場所で死ねたら良いなと思っているんです。

インドネシアには、このスンバワもそうだけれど、イリアンジャヤにスラウェシ、カリマンタンにスマトラ、メンタワイなど僕が死にたい理想の場所が沢山あるのでこれ先ジジーになって、どこで、どんな風に生活して死ぬのだろう?と考えてると、わからないこの先の人生が楽しみになってきます。