フェイクワールド

はじめてレイキーを訪れたのは確か1997年か98年の12月、2000年にバリ島に移住する前、当時はオーストラリアで働きお金がたまるとバリ島に長期滞在するという生活パターンを続けていた。拠点は現在と変わらずビンギンに置きながらバリ島以外の島々にもサーフトリップに出かけていた。

そのころのビンギンは電気は無い、水道は無いので勿論冷蔵庫も無い。料理は薪で火をおこし、トイレは野で、シャワーはためた雨水でという今からはとても想像できない生活だった。そんな原始的なビンギンでの生活に憧れバリニーズの家に下宿させてもらいながらサーフィンをしていた。

ネットが無い当時だがすでにレイキーやデザートポイント、スマトラ、GLANDなどはサーファーのあこがれのディスティネーションだったので、ビンギン出発からインドネシアの各地に波を求めて旅をした。

当時のデザートポイントは今のように宿泊施設などは無く、キャンプ道具に食料、テントなどをもっていくスタイルの旅をしたことがあるが電気も水道も無いビンギンから行ったので、そのキャンプ生活のサーフトリップが「ビンギンの生活とあまり変わらないな」と思いながら過ごした記憶がある。

そしてレイキーに関してはエアコンもついている部屋があり、美味しい料理と冷たいビールが用意されたレストランがあり、ビンギンに比べると大分発展している場所だなと感じた。

あのころから二十数年経った現在。デザートポイントもレイキーも当時より発展しているが人も景色もそれ程変わりはない。しかしバリ島は20年間の間に全く別の姿に変わってしまった。

現在バリ島からレイキーピークやデザートポイントに行くと格差を感じるが、バリ島からジャカルタ、シンガポール、日本などに行く方が格差を感じない。それだけバリが都会社会に変わってしまったという証拠だろう。

90年代にバリ、インドネシアのサーフトリップから当時の住まいオーストラリアのゴールドコーストに帰ると、建物に車に街や人の流れが完全に人間に作られた玩具のLEGOのようなフェイクワールドに見えていた。そんなフェイクな世界が嫌いだからこそ原子生活に近いバリ島に移住したわけなのだが、バリ島も年々フェイクの世界が拡張してきている。そうなると私のようなフェイクワールドが好きではない人間は社会の片隅の方に追いやられていくように感じてしまう。

美味しいパンが手軽に買え、スーパーに行くと自国と同じチーズがあり。レストランに入れば健康フードが食べられて、子供の教育は英語で受けられ、体調が悪ければ最新設備を備えた病院で治療が受けられる。そして簡単に定住ビザ、一時居住ビザがもらえる。このような条件がそろうと20年前の原子的だったバリ島では生活できる自信がなかった人にも移住候補地となり、フェイクを好んで生きる人々がどんどんふえはじめるのだ。

この大半の人たちは、素手で地元飯を食べたりドッスン便所でウンコをしたり、値札をついていない物をインドネシア語を使い買い物したりするのを望んでバリ島に住み始めたわけでは無いはず。中華街がどんどん大きくなるのと同じで一度このような状況になるとフェイクワールドは膨らむ一方で歯止めが効かなくなる。

そんなことなので折角ゴールドコーストのフェイクワールドから逃げ出してきたのだけれど、気づかぬうちにフェイクワールドに追われる状態になってしまった。いつの日かわからないけれどまたフェイクワールドから脱出しているのだろう。

ハイ。今日もドフラットだったので暇つぶしで長文ブログ書きました。4日間無かった波はやっと明日から上がる予報が出ています。