コロナで仕事がなくなってから9ヶ月が経とうとしていた一年前の今頃。「空いているワールドクラスの波でサーフィンできるのは今しか無い。」とGLandやデザートポイントへのトリップを繰り返し、11月の季節外れのGlandに行った後。
コロナも1年経てば収まり、また以前のように仕事に追われる日々が続くし、雨季のバリは波は今ひとつだし、雨で家にこもっていても少し憂鬱な気分になるのでと、勝手な思い込みが先行して、「コロナ休暇最後に長期でサーフトリップに出かけよう」と選んだスンバワ、レイキーピーク。
バリから旅行できた一年前の今頃は、まさかここにスンバワハウスを建設して住んでいるなんて想像もしていなかった。
将来の希望に向かって家を建設している現在だけれど、まだまだ色々な心配があり地に足をついた状態には辿り着いていない。もしもコロナがなく毎年のルーティンで生きていたら、自分は今、確実にここにはいないはず。コロナの事も世界中の人々が予測もしていなかった様に、自分がスンバワに住むなんて全くの予測外だ。
だから自分の人生ですら予測などつかないし、この先どうなるかわからない。例えば5年前は野球少年だった子供が高校卒業後にプロ野球で大活躍、巨額の金銭がはいり、いつの間にか日本中に名前が知れ渡る。野球で無くてもスポーツ、芸能、ビジネス全てにおいて、一人の人生なんて少しの時間経過で良いようにも悪いようにも変わるのだ。
100%のポジティブな気持ちで、スンバワハウスの建設を始めたわけではなく不安な気持ちを乗り越えて今の状況まで達した。もしコロナでグチャグチャにならなければ今も何も変わりなくバリで生活をしていたはず。
20年もいたバリを離れ今こうしてスンバワで新しい人生をはじめると、若い頃大切に思っていたことが蘇ってきた。
それは何かというと「同じ環境の中で5年もいると自分が腐っていく、そしてその環境から外に飛び出す勇気がなくなってくる。」自分が20代前半、このような心理が分かったので、自分自身にはこの様な状況を作らない様にしようと心に決めていたが、secret gardenを始めたのをきっかけ2バリに20年間も住んでいた。住みはじめた頃は、まだまだ新鮮さを感じられ、アウェイの場所にアウェイの海。だったのだが、気がついてみるといつの間にか面の皮が一枚厚くなった様な地元意識な自分がいて、サーフィンをしていても、後から来た人、外から仕事で通ってくる人に対しても、どこかで「俺はローカルだぞ」みたいな心があった。
人間は同じ環境下で長く過ごしていると、大多数のが、その地位や名誉を守ろうと似たような状況の人間とつるんで、会や組織を作り、バリアを張リ小さな社会の中で生きてゆく。
例を上げると海で「俺は権限があるぞ。」訳のわからない態度を取っているローカルサーファーや商店街の商工会、消防団にライオンズクラブ、そして暴力団もこれらと何も変わりはないと言えるだろう。
長年同じ場所で、毎日見る顔で過ごす方が安堵な気持ち。というのも理解は出来るけれど、私は子供の頃からどうもそのたぐいの人種ではなかったようだ。
バリにいた時の自分を振り返ると「自分はもう50の年齢」後何十年生きるためにはいくらぐらい貯金が必要か?「だから何歳になった頃には○○○円貯めなければ」と死ぬ年齢を予測してお金計算をよくしていた。今物資も豊かではなく贅沢も無いスンバワから振り返ると、コロナが来ないで、あのままバリでの人生を続けていたら、どんどん自分の人生がつまらない方向に向かっていったのだろうと思う。
長年続けた生活に終止符打ち、また新たな人生が始まったけれど、でも前の生活の中で良かったこと、今できなく残念に思うことが2つある。
その一つは、コロナとスンバワに引っ越してしまった事で、今までsecret gardenで出会った方々と会えなくなってしまった事。
2つ目は毎年通っていたヒマラヤ旅行が経済的にも距離的にも遠くなってしまった事。
スンバワ来て3ヶ月近く経つが、コロナ前のバリのように「ノホホーン」と生きていない今は、もう死期と貯蓄の計算はしなくなり人生が伸びた様に感じる。このまま強い信念持ち続ければ、またこれら2の事ができると思っている。